島根と鳥取間を除き、県境またぐ移動控えて 中国地方知事会 |
島根と鳥取間を除き、県境またぐ移動控えて 中国地方知事会
中国地方知事会が30日、新型コロナウイルス対策本部会議をウェブで開き、中国5県の住民向けに大型連休中のメッセージを発信。
5県で県境をまたいだ帰省や旅行など不要不急の移動は、感染状況が落ち着いている鳥取、島根両県間は除き、控えるよう求めた。
岡山県が5月3日から、岡山市中心部の飲食店で午後8時までの営業時間短縮要請を出すなど、中国地方でも感染拡大の封じ込めが喫緊の課題になっている。
鳥取県の平井伸治知事は会議終了後「(山陽側を中心に)危機感が募っている。決して安閑としている状況ではない」とメッセージの意義を強調した。
島根県の丸山達也知事は「人の移動に伴う感染の要素を取り除く形で、ゴールデンウイークを乗り切っていきたい」と理解を求めた。
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2020年5月8日、欧州における第二次世界大戦の終結から75年を迎える。ナチスによる残虐な犯罪をはじめとした負の歴史を、ドイツは正面から受け止め、次世代へと引き継いできた。この節目の年に、改めてその「過去」を振り返るとともに、私たちのこれからの「未来」について考えてみよう。
最終更新日:2020年5月4日
http://www.newsdigest.de/newsde/features/world-war-2-75th-anniversary/ 配信より
私のコメント : 令和2年5月7日、山口県 観光スポーツ文化部 交通政策課 地域交通班 米川浩史主任から、私のもとへ連絡が入り、その連絡 事務 内容に沿い、今まで、すでに、山口県 観光スポーツ文化部 交通政策課 伊藤香織利課長、並び、山口県 観光スポーツ文化部 交通政策課 空港利用促進班 水川雅子 主査 両名のもとへ、私と 〒531-6035 大阪市北区大淀中1-1-88-3501 梅田スカイビル タワーイースト35F 大阪・神戸ドイツ連邦共和国総領事館 文化部 飛鳥井様との 間における その連絡通信文の内容、一連における、その写しも、情報 提供もしているため、よって、大阪・神戸ドイツ連邦共和国総領事館 文化部 飛鳥井様のもとへ、日独間における、外交儀礼上における ドイツ連邦共和国と私との対応もあるため、具体的な内容に関する説明を入れながら、〒531-6035 大阪市北区大淀中1-1-88-3501 梅田スカイビル タワーイースト35F 大阪・神戸ドイツ連邦共和国総領事館 文化部 飛鳥井様と私は、対談を行った。
令和2年5月7日、山口県 防府市 市政相談課 原田係長と私は、対談する。山口県 防府市教育委員会 職員と対談する。山口県 山口市 総務課 末田一志課長(兼 行政不服審査審理委員・赤田神社 宮司、山口県神社庁 神職)と私は、対談する。山口県 柳井市教育委員会 職員と私は、対談する。
令和3年2月13日、島根県 津和野町郷土館 宮田様と私は、今迄の下記内容に沿った、経緯より、島根県 国指定重要文化財 鷲原八幡宮社殿 修復の件、並び、島根県 後鳥羽院顕彰事業実行委員会(委員長・大江和彦海士町長)顕彰事業 対応の件、における、その対応があり、その対談する。
島根県 津和野町郷土館は、大正10年に建てられた博物館です。津和野藩主吉見、坂崎、亀井の三氏の歴史資料に関する資料などを展示しています。
令和3年2月12日、山口県 萩市 議会事務局 総務管理係 杉山留美主任と私は、萩市 横山秀二 市議会議長 宛て 私の連絡文をもとにして、その対談を行った。
修復の件、
令和3年2月12日、山口県 山口市 文化財保護課に行き、山口市 文化財保護課 磯部貴文課長と 島根県 海士町 総務課 村尾由美子様と私との一連の連絡文における、今迄の対応より、隠岐國海士町・後鳥羽院顕彰事業実行委員会「後鳥羽院遷幸八百年」作成のポスターを 山口市 文化財保護課 磯部貴文課長へ、私は、手渡し、更に、「隠岐の後鳥羽院」田邑二枝著をもとに、その内容に関する面談を行った。
その際、私と河内山賢祐氏との京都 洛中 における、芸術、文化交流 内容について、並び、河内山賢祐氏から、その当時に、解説をしていただいていた話題 等も私から 山口市 文化財保護課 磯部貴文課長のもとへ、説明を申し上げる。
令和3年2月4日、山口県 萩市 山口家庭裁判所 萩支部において、山口県 萩市役所 総務課 行政係、並び、山口県 萩市出身 元宮内庁長官 羽毛田信吾様からの 今迄における 私に対する 対応もあり、家事調停委員 守永辰夫様、中村津峰子様 同席のもとに、山口家庭裁判所 藤永祐介判事と私は、各 王室から 宗教の一連の対応へと、それがかかり、面談する。私は、その立場を主張する。山口家庭裁判所 藤永祐介判事 内容 記録 担当 裁判所書記官 常岡正宣書記官。
令和3年2月4日、山口県 萩市役所 総務課 行政係 山中係長と私は、面談する。
令和3年2月4日、山口県 萩市 市長選挙 候補者 事務所に行き、当該 候補者 選挙対策本部 事務局長と私は、面談する。
◎コロナウィルス感染症対策
◎変異3ウィルス
◎外務省いわゆる密約書不在の問題
◎家庭裁判所
◎藤永祐介判事
◎ボランティア活動
◎東龍太郎
◎東京都知事
◎日本赤十字社
「女性に対する差別や蔑視が生まれる背景を解決するためには、日本赤十字社 奉仕活動についても、広く、内外において、考えていく必要があるのではないか」
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後鳥羽上皇配流から800年 2年かけ顕彰事業
https://www.sanin-chuo.co.jp/www/contents/1610678049309/index.html、山陰中央新報 配信より
鎌倉時代、1221年の承久(じょうきゅう)の乱で後鳥羽上皇(1180~1239年)が隠岐に配流されてから、2021年は800年の節目を迎える。島根県海士町では、来島の様子を再現したイベントや島民との交流を描いた演劇など、盛りだくさんの行事に取り組む。上皇ゆかりの歴史と文化遺産の継承に向けた人材の育成や観光客誘致につなげる。
後鳥羽上皇は承久の乱で敗れて中ノ島(現・海士町)に配流され、亡くなるまでの20年近くを過ごした。和歌や刀剣作りに関心を寄せたと伝えられ、上皇を祭る隠岐神社もある地元では「ごとばんさん」の名で親しまれる。
町が、節目の年に顕彰事業を計画。2020年に始まる予定だったが、1年延期し、22年までの2年間かけ継承機運を盛り上げる。
21年9月には、上皇が日本海を舟で渡って来島した様子などを再現する「舟渡御」を開催。隠岐神社を出発し、上皇の御霊(みたま)を祭る神輿(みこし)を船に乗せ、上皇が上陸した海士町崎地区まで、2日間かけて島の周りを1周して神社に戻る。10月の記念大祭では、同神社で上皇と島民との交流を描いた住民参加型の演劇を上演する。
22年10月は、各地の刀工を召して刀作りに当たらせた「御番鍛冶(ごばんかじ)制」にちなみ、国内トップの刀匠が手掛けた日本刀を奉納する計画で、資金をクラウドファンディングで集める。
後鳥羽院顕彰事業実行委員会(委員長・大江和彦海士町長)は、記念事業のアイデアをホームページで募集している。事務局の村尾茂樹事業検討委員長(50)は「後鳥羽院が残した文化や歴史の価値を再認識し、隠岐4島一体で守り伝える機運を盛り上げていきたい」と話した。
2021年1月15日
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津和野町郷土館
http://www.tsuwano.net/www/contents/1000000021000/index.html 配信より
本館は、遠く縄文時代から現代に至る豊富な郷土の歴史資料、文化遺産を永く後世に保存・継承するために、大正10年(1921)、当時としては、県内唯一の郷土歴史博物館として設立されました。
創設当時は、藩校養老館の御書物蔵を利用していましたが、昭和15年(1940)に紀元2600年事業の一環として現在地への移転・建設が決定され、独立した郷土館として整備されました。
その後、戦時下の一時休館や、終戦直後には役場庁舎に利用されるなどの変遷をたどりますが、昭和29年に再び今日の姿で開館され、現在に至っています。
本館は、吉見・坂崎・亀井の三氏にわたる津和野城主の歴史を今に伝える豊富な資料に加え、人材育成の源泉となった藩校「養老館」に関する資料、西周をはじめとする多くの先哲の遺品遺墨、乙女峠のキリシタン殉教関係資料、当地ゆかりの文化人・芸術家の作品、更には縄文期からの考古資料、国内に9門のみが残存する約400年前の大砲「フランキ砲」2門など、この地方の豊かな歴史・文化遺産数千点を収蔵・展示し、郷土文化の伝承とその顕彰・発展を期しています。
◇ 開館時間
AM 8:30 ~ PM5:00
◇ 休館日
毎週火曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始(12月30日~1月4日)
その他、展示替え・特別展等のため臨時休館する場合があります。
◇入館料
区分 個人 団体
一般 400円 300円
中高生 300円 180円
小学生 150円 80円
※ 団体料金は20名以上で適用
※ 下記の方は入館無料です。受付の際にお申し出ください。
・津和野町民
・障がい者手帳または療育手帳の交付を受けている方
及びその介護人
・町内の学校に通学する児童・生徒及びその引率者
◇ 所在地
〒699-5604 島根県鹿足郡津和野町森村ロ127
◇ 連絡先
TEL 0856-72-0300 FAX 0856-72-2025
下関出身の力士 響龍が死去 恩師“無念というしかない”
本相撲協会は、ことし3月の春場所の取組で土俵に頭を打ちつけて病院に搬送された下関市出身の響龍が、28日、急性呼吸不全のため都内の病院で亡くなったと発表しました。28歳でした。
下関市出身で境川部屋の響龍は、ことし3月26日の春場所13日目の三段目の取組で相手に投げを打たれて敗れた際に頭から土俵に落ち5分以上倒れたままになり、その後、救急車で病院に搬送されました。
翌日、師匠の境川親方は「一生懸命、治療に専念している」と説明していました。
日本相撲協会によりますと、響龍は入院を続けていましたが、28日午後6時すぎ、急性呼吸不全のため都内の病院で亡くなったということです。
28歳でした。
日本相撲協会の芝田山広報部長は「響龍は意識があって話ができると聞いていた。非常に切なく残念なことだ」とした上で、土俵上で倒れたこととの関係については「因果関係はわからない」としています。
また相撲協会の八角理事長は「協会員一同、心より哀悼の意を表します。私自身、ただただ驚き、ぼう然としております。1か月以上にわたる闘病生活、さぞつらかったかと思いますがご家族や師匠の懸命の看病のもと、力士らしく粘り強く耐え、病魔と闘ってくれました。今はただ、安らかに眠って欲しいと願っております」とコメントを発表しました。
【高校時代の恩師 “無念というしかない”】
下関市出身の響龍が亡くなったことについて、高校時代の恩師の朝岡輝喜さんは「道半ばで無念というしかない」と話し、その死を悼んでいました。
下関市の旧・響高校で相撲部の監督として響龍を指導した朝岡さんは、30日、NHKの取材に応じ「境川部屋の親方から『息を引き取った』と聞いた時は『なぜ?』という思いだった」と、ショックを受けていました。
高校時代の響龍について朝岡さんは「真っ正直な相撲をとり、馬力があって強かった」と振り返った上で、「場所中でも勝ち越した時には必ず連絡してくれた。彼のことばを聞けなくなると思うと残念でならない。道半ばであり、土俵に戻ってきてほしかった。ただ無念というしかない」と話し、突然の死を悼んでいました。
朝岡さんは現在、山口県相撲連盟の理事長を務めていて、「指導者はこうした事故が2度と起こらないよう、再発防止に一丸となって取り組む必要がある」と話していました。