◆東京六大学秋季リーグ戦最終週第2日 ▽早大―慶大(8日・神宮)

 両校が優勝をかけて戦う早慶戦は、勝つか引き分けで10季ぶり46度目の優勝が決まる早大が200センチ左腕・今西拓弥(4年=広陵)、勝てば2季ぶり38度目の優勝が決まる慶大は3年生右腕・森田晃介(慶応)の先発で始まった。

 先制点を挙げたのは早大。3回表の2死二塁から3番・滝沢虎太朗左翼手(4年が中前へタイムリーを放った。

 その裏、慶大もすぐに反撃に出た。この回から登板した早大の2番手・西垣雅矢投手(3年・報徳学園)に対し、1死二塁から2番の1年生・広瀬隆太一塁手(慶応)が三遊間を破る安打。左翼手が打球の処理をもたつく間に二塁走者が生還し、1―1の同点とした。

 慶大は4回も西垣を攻めた。2死二塁から、主将の瀬戸西純遊撃手(4年=慶応)が詰まりながらも左翼線に落ちる適時打。2―1と勝ち越した。

 その後、両校とも無得点のまま試合は進み、8回から慶大のマウンドには、ヤクルトのドラフト1位で前日に先発して敗戦投手となった木沢尚文投手(4年=慶応)が上がった。

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慶大野球部のアニキ、28歳の竹内助監督がリーグ戦に挑む

竹内氏はトヨタ自動車に籍を置いたまま母校慶大で指導している

今年2月1日付けで、慶應義塾体育会野球部の助監督に竹内大助氏が就任した。28歳。グラウンドに立つと、選手と見分けがつかなくなるほど若い。昨年までトヨタ自動車野球部でピッチャーだった。現役引退を表明すると、青春時代を過ごした慶大野球部から、助監督就任の話が舞い込んだ。選手たちと同じ目線で野球に取り組み、苦しみ、喜びを分かち合える。そんな指導者になれたら、と引き受けた。慶大野球部は若き指導者を得て、4月13日に開幕する春の東京六大学リーグで優勝旗奪還を誓う。

慶大でリーグ戦通算22勝、2月に就任

竹内氏は話を受けた当初、「え!? 自分のような若造でいいのか」と思ったという。それでもやりがいのある魅力的な仕事だと考え、2月1日から助監督としてチームを支えている。

愛知県半田市出身。父親の影響で小学校3年生のときに野球を始め、 中京大中京高に進学。1年生の2006年秋にベンチ入り。3年生になった08年春の選抜大会に出場し、初戦の2回戦で明徳義塾(高知)に敗れた。慶應に進んでからはリーグ戦56試合に登板し、22勝。2年生の春の東大戦ではノーヒットノーランを達成した。

慶應時代は江藤省三元監督のもと、リーグ優勝2回、全日本大学野球選手権準優勝1回。「練習中の江藤監督は厳しかったです。指導者として見習いたいところが多いです」と、振り返る。同期に中日ドラゴンズの福谷浩司、JX-ENEOSの山﨑錬 、日本生命の福富裕、1学年上には中京大中京高の先輩で阪神タイガースの伊藤隼太らがいた黄金世代だ。

卒業後に進んだトヨタ自動車には6年間在籍し、16年の都市対抗で優勝に貢献。ストレート、スライダー、スクリュー、カーブ、チェンジアップなどを操る技巧派の左ピッチャーとしてならした。

社会人4年目ごろから、自分のポジショニングを意識し始めた。「ちゃんと成長してるのだろうか」。悩みながら選手生活を続けていた。そのころから考えていた選択肢は三つ。「現役を続ける」「指導者の勉強をする」「野球と縁を切って社業に徹する」だった。

そして昨年、選手生活に終止符を打ち、母校から現職の打診があった。「自分は神宮や日吉に育ててもらいました。その恩返しがしたい、と。多くの先輩方がいらっしゃる中で自分でいいのかとも考えましたけど、引き受けることにしました」と竹内氏。トヨタ自動車に籍を置いたまま、出向の形での就任となった。同社では社員が籍を置きながら母校などで指導をするのは、ラグビー部なども含めて初めての試みという。

左利き独特の感覚も指導にプラスか

竹内氏の魅力を監督の大久保秀昭氏はこう表現する。

「いちばんの魅力は若いという部分。昨年まで社会人の現役でいたので、体が動いて、学生たちの中に入っても違和感がないです。年齢の近さもあり、若い世代の感覚も理解した上での指導、コミュニケーションができると思います。監督が親父なら、竹内はいい兄貴という感じかな、と。あとは左利きの独特の感覚がプラスに作用するでしょう。私や学生たちとともに学びながら、みんなで成長していくのが大事だと思ってます」

慶大野球部の小さな仲間、田村勇志君とコミュニケーションをとる竹内助監督

竹内自身も、まさにこの姿を目指している。選手たちと密にコミュニケーションを取りながら、同じ目線で指導していく。監督の意図をくんで選手とのパイプ役になり、黒子に徹したいと考えている。「選手たちにはリーグ戦に向けて『ああしておけばよかった』『こうしておけばよかった』と後悔しないような準備をさせてきてますけど、まだまだ現状には満足してません。練習量は自分を裏切らないですから」と、前を向く。

選手たちに対してはグラウンドでもグラウンド外でも、オンとオフのメリハリをしっかりとつけさせたいという。「僕自身が現役時代、ずっとオン過ぎましたから」と、笑う。

大学院で学びながら

竹内氏は指導者としてはまだスタートラインに立ったばかりだが、目指すフィールドは大きい。野球の指導者としての道だけでなく、ゆくゆくはフロントとしてマネジメントに関わり、広くスポーツビジネスに携わりたいという夢を抱いている。現在は指導者のみならず、慶大大学院システムデザイン・マネジメント研究科を訪れて学んでいる。

竹内氏の相談にのっている慶應の神武直彦教授は「これまでの野球経験をもとに、野球部そして日本の野球界に貢献できる考え方、技術を身につけ、成長しようという意欲を感じます。それを所属元であるトヨタ自動車も期待してます。私もスポーツにおけるシステムデザインやデータ利活用の観点で力になれればと思い、相談を受けてます。彼は慶應野球部から未来をつくっていきたいという気概があるため、これからが楽しみですし、期待してます」と、熱く語った。

背番号40をつけ、気持ちも新たにリーグ戦開幕を迎える

竹内氏にはいまも忘れられない一戦がある。中京大中京高時代の選抜大会だ。1年生のときからベンチ入りし、3年生のときに出場。背番号10で中京大中京高にとって初戦となった2回戦の明徳義塾戦に先発した。試合では5回まで1点に抑えて2-1と勝ち越していたが、6回2アウトからのエラーでリズムを崩し始めた。この回二つ目の四死球を与えたところで降板。2番手投手の押し出しで2-2、延長10回にエラーが絡んでサヨナラで敗れた。あの悔しさは助監督になったいまでも、竹内氏の原動力になっている。眼前の目標は東京六大学リーグ優勝。勝つ野球を目指す。