連続在職日数、安倍首相2位に 第2次内閣から2248日 |
2/19(火) 21:18配信、最終更新:2/20(水) 0:00 共同通信 配信より
安倍晋三首相は20日、2012年12月に首相に返り咲いた第2次安倍内閣発足からの連続在職日数が2248日となり、吉田茂元首相の第2次~第5次内閣と並ぶ歴代2位となった。連続在職日数の歴代1位は、佐藤栄作の2798日。
安倍首相は2日後の22日には、06年からの第1次内閣を含めた通算日数でも、吉田内閣の通算と同じ2616日に到達。歴代4位タイとなる見通しだ。通算は、戦前の桂太郎が2886日で1位、佐藤が2位で、初代首相を務めた伊藤博文の2720日が3位だ。
このまま政権を保った場合、6月に伊藤、8月に佐藤と並ぶ。11月20日に桂を抜いて歴代単独1位となる。
【関連記事】
• <金口木舌>ご飯論法の不誠実
• 戦後の占領期…
•「首相が向き合うべきは自分」 玉木氏、「悪夢」発言批判
• 【社説】厚労省の勤労統計不正 処分より真相究明急げ
•元首相秘書官、厚労省へ圧力否定 勤労統計「不適切な意図ない」
私のコメント : 平成31年2月20日、安倍晋三首相は20日、2012年12月に首相に返り咲いた第2次安倍内閣発足からの連続在職日数が2248日となり、吉田茂元首相と並ぶ歴代2位となった。連続在職日数の歴代1位は、佐藤栄作の2798日。
今月22日の「竹島の日」を前に、韓国の海洋調査船が先週から今週にかけて島根県の竹島周辺の領海に入ったことが確認されたとして、島根県 溝口知事は「誠に遺憾であり、韓国の動きに対しては政府において適切に対応されることを望む」、「日本政府は国際法に基づき平和的な解決を求めており、誠に遺憾だ。島根県としては韓国の動きに対して、政府において引き続き適切に対応されることを望む」とのコメントを出されました。
...................................................................
統計不正受け政府の全統計を検証 6月にも報告書取りまとめへ
2019年2月19日 22時28分統計不正問題 NHK NEWS WEB 配信より
厚生労働省の統計不正問題を受けて、総務省の統計委員会に新たに設置された「点検検証部会」の初会合が開かれ、政府の統計すべてを対象に検証を行い、6月にも、再発防止策を含む報告書を取りまとめる方針を確認しました。
続きを読む
厚生労働省の統計不正問題を受けて、国の統計を所管する総務省の統計委員会は、統計の対象や調査方法などが妥当か検証するため、新たに有識者でつくる「点検検証部会」を設置し、19日、初会合を開きました。
会合では、特に重要な統計と位置づける56の基幹統計に加えて、233の一般統計も対象に検証を行い、春までに問題点がある統計を絞り込むことを決めました。
そして、ことし6月にも再発防止策を含めた報告書を取りまとめる方針を確認しました。
検証は、責任の所在や、人員などの体制が十分かについても行い、不正が見つかった場合は、速やかに公表するよう所管する省庁に求めるということです。
会合のあと、部会長に就任した慶應義塾大学の河井啓希教授は記者団に対し、「統計に対する不信感を払拭(ふっしょく)するためにできるかぎりのことをする。各府省には誠実に協力してもらいたい」と述べました。
あわせて読みたい
統計不正 歴代の部門トップ全員「数値のゆがみ知らず」 2月18日 16時47分
統計不正 当時の担当者「数値復元指示するも実施を確認せず」 2月17日 17時40分
...................................................................
[自民党研究 政党を問う]第1部 地方・党員<2>竹下王国の一番長い日
2019/02/05 05:00、読売新聞 配信より
1月9日は、島根県の自民党関係者にとって「一番長い日」となった。
「総合的に判断し、 大庭 ( おおば ) さんでいきましょう」
東京都内のホテルで開かれた党島根県連の会合。4月の県知事選を巡り、会長の竹下亘(72)(衆院島根2区)は、松江市出身で元総務省消防庁次長の大庭誠司の名前を挙げ、党本部への推薦を宣言した。かすれ、絞り出すような声だった。推薦申請があった候補は3人。竹下の威光が行き渡る県連からすれば、この鶴の一声で2時間の協議がまとまるはずだった。だが、竹下に連なる県議から猛然と異論が上がった。
「どうしてですか!」
県議の多くは、福岡出身ながら元県政策企画局長の丸山達也を推していた。最終的には竹下の判断が了承されたが、不服とする県議からは「地元の声を無視するのか」と厳しい言葉が飛んだ。知事選は44年ぶりの自民分裂が決定的となり、竹下は力ない足取りで会場を後にした。その約30分後、竹下は自らが率いる平成研究会の派閥事務所で記者会見を開き、食道がんに侵され、入院治療に入ることを公表した。かすれた声はがんによるものだった。平成時代は1989年、竹下の兄の登が首相の時に幕が開いた。登は島根の自民党をまとめ上げて「竹下王国」を築き、中央では田中派を割って経世会(後の平成研究会)を旗揚げし、権勢を振るった。登の秘書を手始めに、県議、参院議員を務め、王国を支えてきた元官房長官の青木幹雄(84)にも竹下の病気の一報はもたらされた。記者会見前日の1月8日、長男で参院議員の一彦(57)を経由して話を聞いた青木は「こればっかりはしょうがないわね」と言葉少なだった。昨年4月、竹下が平成研の新会長に就任し、およそ四半世紀ぶりに「竹下派」が復活した。名門派閥として存在感を示そうとしていた時期だけに衝撃は大きい。全盛期を知る青木は、足元の反乱に力なく語る。
「昔だったら考えられないことだ。まぁ、時代が変わったんだな」
平成の終わりに、王国は試練を迎えている。
(敬称略)
「竹下」の結束 今は昔
「皆の手で」
島根県の山あいにある雲南市 掛合 ( かけや ) 町。 鈍色 ( にびいろ ) の空が広がり、根雪が残る。
「知事選では、自民党の推薦候補予定者の勝利に向けてお力添えを賜りますようにお願いします」
1月26日、掛合交流センターで開かれた自民党支部の会合で、闘病中の県連会長、竹下亘(72)のメッセージが読み上げられた。掛合は竹下や兄・登の出身地で、いわば竹下家の「聖地」(参院議員の青木一彦)だ。出席者のテーブルには、竹下の実家の造り酒屋「竹下本店」が醸す清酒「出雲 誉 ( ほまれ ) 」が並び、メッセージは竹下の弟で13代当主の三郎が代読した。竹下の意向は拍手で迎えられたが、ひときわ大きな拍手が湧き起こったのは、その後に登壇した元自民党参院議員の景山俊太郎(74)のあいさつの時だった。「この地域は過疎、高齢化が進み、産業は遅れ、厳しい状態だ。今年は 御代 ( みよ ) が替わる。上から『この人ですよ』という選挙は時には必要だが、時代が替わる時には皆の手で選ぶべきだ」4月の県知事選を巡り、県議の大半が元県政策企画局長の丸山達也を推しているにもかかわらず、元総務省消防庁次長の 大庭 ( おおば ) 誠司の擁立に踏み切った竹下らへの批判だった。知事選には4日、前安来市長の島田二郎も名乗りを上げ、保守分裂は更に拍車がかかる。「竹下王国」の島根では、現在も自民県議22人のうち18人が竹下系列に名を連ねる。竹下の後援会組織は選挙区の衆院島根2区にとどまらず、全県域に及び、「島根丸ごと1県が竹下後援会」とも称される。
23年連続1位
力の源泉は公共事業の誘致にあった。島根は、登が首相になった翌年の1988年度から2010年度まで、1人あたりの公共投資額が23年連続で全国1位だった。しかし、利益誘導が姿を消すにつれ、王国も変質した。小選挙区制導入で衆院島根1区の細田博之(74)が地盤を築くうちに系列の色合いも薄まった。登の誕生月の2月にちなむ県議会内の派閥「きさらぎ会」は毎年、新年会などを開いて結束を確認していたが、3年前に解散した。青年団時代から登と親交があった県議の浅野俊雄(88)は「もう派閥は時代に合わないということになったんだわ」と寂しそうに語る。中選挙区時代は自民党同士が議席を争うため、より巨大な後援会を持ち、系列の地方議員を自在に動かせることが大物議員の証しだった。新潟の元首相、田中角栄もその一人だ。田中の後援会「越山会」の幹部だった新潟県議の三富佳一(80)は、同会がかつて会員へのサービスとして行っていた旅行のことを思い出す。「バスを10台くらい借り切って、後援者を1泊で旅行に連れていくんだ。各地区、支部ごとに行うから1か月くらい続いた。越山会流の旅行はすごかった」
公共事業誘致 陰り
高齢化の波
今、こんな光景はほとんど見られなくなった。自民党参院議員の二之湯智(74)(京都選挙区)は1月14日、京都から三重県伊勢市の伊勢神宮に向かうバスの中でマイクを握り、後援会員に笑顔で語りかけた。「1回目のお伊勢参りから、あっという間の32年。今年もまた、政治活動をご支援いただきたい」1987年に京都市議に初当選して以来、伊勢神宮初詣のバスツアーを続ける。今年はバス2台で約80人が参加した。かつては参加者が500人に上り、2日に分けて開いたこともあったが、近年は高齢化に伴い、参加者が減っているという。遠ざかる国会議員と系列議員、後援会員との距離。それは自民党の金城湯池といえども例外ではない。(敬称略)
小選挙区制 じわり影響
小選挙区比例代表並立制は1996年10月の衆院選で初めて実施され、2017年衆院選まで8回行われてきた。読売新聞社の自民党員調査では、党員歴が短いほど国会議員や地方議員らの後援会に所属している割合が低くなっており、後援会主体の選挙からの脱皮を狙った選挙制度改革が浸透している一端がうかがえる。後援会に所属している割合を党員歴の期間別にみると、中選挙区制を経験している党員加入歴「30年以上」の層が72%で最も高かった。党員歴が短くなるにつれて低くなり、加入歴「5年未満」では54%だった。選挙制度改革は「政権交代可能な2大政党制」の実現も想定していた。党員調査では、2大政党による政治が望ましいかどうか聞いたところ、「望ましい」57%で、「そうは思わない」34%を上回った。一般有権者でも「望ましい」56%、「そうは思わない」33%とほぼ同じで、自民党員と一般有権者で2大政党制に対する考え方に差はないことが分かった。
私のコメント : 平成31年2月19日、1月9日は、島根県 自民党関係者にとって「一番長い日」となった。「総合的に判断し、 大庭 ( おおば ) さんでいきましょう」東京都内のホテルで開かれた党島根県連の会合。4月の県知事選を巡り、会長の竹下亘(72)(衆院島根2区)は、松江市出身の大庭誠司の名前を挙げ、本部への推薦を宣言した。4月の島根県知事選を巡り、島根県議の大半が元県政策企画局長の丸山達也を推しているにもかかわらず、元総務省消防庁次長の 大庭 ( おおば ) 誠司の擁立に踏み切った。島根知事選には4日、前安来市長 島田二郎も名乗りを上げ、保守分裂は更に拍車がかかる。島根は、自民県議22人のうち18人が竹下系列に名を連ねる。