イージス・アショア 予算案計上 |
12月21日 22時20分、山口 NEWS WEB 配信より
21日に閣議決定された国の来年度の予算案に、防衛省が萩市の自衛隊の演習場に配備する方針の新型迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」を導入する経費が計上されました。一方、防衛省の原田副大臣が今月25日、県庁で村岡知事や萩市長、それに阿武町長などと会談することになりました。防衛省が萩市の陸上自衛隊・むつみ演習場に配備を計画している新型の迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」をめぐっては、今月6日からレーダー施設などが建設できるか確かめるため、現地でボーリング調査が始まっています。政府は一般会計の総額で過去最大の101兆4564億円となる来年度の予算案を閣議決定し、このうち「イージス・アショア」を導入する経費として120億円を計上しました。「イージス・アショア」については、2基取得する経費として来年度から5年間であわせて1757億円が計上されています。一方、関係者によりますと、今月25日、防衛省の原田副大臣が山口県を訪問し、調査が行われているむつみ演習場を視察することにしています。原田副大臣はその後、県庁で村岡知事や萩市長、それに阿武町長などと会談し「住民の不安を払拭するため、具体的で分かりやすい説明に努める」などと伝えることにしています。
私のコメント : 平成30年12月22日、21日に閣議決定された国の来年度の予算案に、防衛省が萩市の自衛隊の演習場に配備する方針の新型迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」を導入する経費が計上されました。関係者によりますと、今月25日、防衛省の原田副大臣が山口県を訪問し、調査が行われているむつみ演習場を視察することにしています。 原田副大臣はその後、山口県庁で村岡知事や萩市長、それに阿武町長などと会談する予定です。
100年先 見据え大学設立 良妻賢母ではなく「人・婦人・国民として」女子教育に尽力 県人たち
NHKで放送中の「連続テレビ『あさが来た』」の主人公のモデル・広岡浅子( 1849年~1919年)は、明治時代を代表する実業家で女子教育に力を入れられたことでも知られる。彼女が影響を受けたのが、山口市出身の成瀬仁蔵(1858~1919)だ。当時の女子教育には、成瀬以外にも多くの山口県人が尽力した。
周防国吉敷村(現山口市吉敷)生まれの成瀬は郷校「憲章館」などで学び、同郷のキリスト教宣教師、澤山保羅(1852~1887)と再開し洗礼を受けた。澤山を手伝い、大阪に梅花女学校(現梅花女子大学)を開く。
1890年からの米国留学では多くの学校や社会施設などを視察。「女子の大学校設立と日本社会の改革が必要」との思いに至り、帰国後の1898年「女子教育」を出版した。ここで、成瀬は、女子を「良妻賢母」としてではなく、「人として」「婦人として」「国民として」教育する必要性を唱えた。
この書に感銘を受けたのが京都出身で実業家として活躍していた広岡だ。「女子に学問は不要」とされてきた時代を生きた広岡は、成瀬と政財界の有力者らを回って大学校設立に協力を求め、1901年、日本女子大学校(日本女子大学)が生まれた。
成瀬記念館(東京)学芸員の岸本美香子さんは「女子教育に携わるようになったのは澤山との出会いによるところが大きいが、明治政府や各界で影響力を持つ長州出身者がいたことも大きな助けになった」と話す。
成瀬が、大学校設立に向けて最初に相談したのは、同じ吉敷村出身で当時の大阪府知事、内海忠勝だ。明治維新の中心人物の一人で、初代首相の伊藤博文も協力したとされる。さらに、大学校の敷地内に建てられた実験などのための教室を備えた「香雪化学館」は、萩出身の実業家、藤田伝三郎の寄付によるものだった。
一方、吉敷村にはもう一人、女子教育に尽力した人物がいる。成瀬も学んだ憲章館創設者服部章三(1848~1916)だ。
服部もまた洗礼を受け、1879年、下関市に赤間関光塩英学校(後の光城女学院、現梅光学院大学)を開設した。梅光学院大学資料室の湯浅直美さんは「服部は教育家の家系に生まれ、自身も学校で英語を教えてきた。後輩の澤山が女子の学校を建てたことを知り、自分もと思ったのではないか」とみる。
約10年かけて、成瀬、澤山、服部の3人の伝記をまとめた山口市吉敷の平和生さん(87)は、「長州でも本流の出ではない3人は何か変えたいと女子教育に行き着いた。日本が外国から遅れないために女子の教育を高めなければと考えたと話す。「中でも成瀬は、日本に合う高等教育をと考えて女子の大学校を作り、100年先を見据えていた」
(寺尾佳恵) ・・・ 平成28年3月15日(火)、朝日新聞 山口地方版より
私のコメント: 日本女子大学 成瀬記念館 岸本美香子学芸員との間において、私は、学事交流がある立場でこの記事にコメントする。日本女子大学校の創設には、当時の皇室における各関係者、伊藤博文、大隈重信、井上馨、渋沢栄一、三井家の業績に負うことも大きい、当時の皇室 皇后陛下との学事関係においても成瀬仁蔵は、関係が深く、現在に至るも、続いている「その長州でも本流の出ではない」ということはありえない。日本女子大学の各関係機関や山口県下、その関係者に対しても、筆足らずの記事内容と感じる。
平成28年4月25日、28日、島根県吉賀町職員より「吉賀記を読む ~歴史が語る~ 」に関し、説明を受けた。
平成28年5月17日(火)、日独同盟時代の文化交流、日独交流150周年事業も含め、文化国際交流の経緯、外務省 中東欧課 石倉様へ報告。G7. 伊勢志摩サミットに対応 件、外務省 経済安全保障課 高村様に関して、私は、外務省 中東欧課 伊藤様へ報告を入れた。山口県広報広聴課へ、連絡と確認も行った。
平成28年5月19日、島根県 吉賀町教育委員会 教育長 青木一富様 宛て、その異議申立てに係わる対応が、はじまる。
平成28年5月19日、島根県 吉賀町教育委員会 教育長 青木一富様 宛て、その異議申立てに係わる対応が、はじまる。
平成28年5月30日、平成28年5月25日付、島根県 吉賀町総務課 吉総第185-1号 「審査請求補正書等の送付について」対応より、吉賀町総務課へ、その文中における異議を申し立てた。
平成28年6月9日、島根県 吉賀町役場へ公文書開示請求書と公文書任意公開申出書を提出している内容に関し、島根県 吉賀町教育委員会 教育長 青木一富氏より、私の許へ、電話連絡、その恐喝にも匹敵するような連絡が入る。その際、私が、平成28年4月25日、吉賀町へ行き、「よしか記」の代金、島根県吉賀町役場に、納入しているにもかかわらず、それが、島根県 吉賀町教育委員会において、収納されていない などと 失礼な電話での連絡、私は、吉賀町長よりの収納している旨 記してある私宛て領収書をもとに、島根県 吉賀町役場 佐々木様へ抗議の連絡を入れて、島根県 吉賀町教育委員会教育長青木一富氏より、私の許へ、電話連絡が入った今回の内容に関し、私から、島根県 吉賀町役場 佐々木様へ報告した。
平成28年6月9日、以上の内容、山口県広報広聴課 県民相談担当 山根真裕美主査のもとへ、前 山口県山本繁太郎知事と私との今までの対談内容に関する内容もあるため、島根県 吉賀町役場へ公文書開示請求 提出に関し、吉賀町教育委員会 教育長 青木一富氏より、連絡が入り、前 山口県山本繁太郎知事と私との対談内容に関する内容もあるために、その報告と相談に行った。
平成28年6月20日、島根県吉賀町役場に行き、吉賀町長 中谷勝様と面談し、日本赤十字社 島根県支部 島根県青少年赤十字奉仕団 発行 「いとすぎしまね 第22号 平成27年9月30日 」を手渡しすることが できた。
平成28年7月2日、吉賀町 総務課より、吉総403号 平成28年6月28日 公文書を受け取り、「・・・本請求につきましては、先日送付した公報の写しで済んでいると判断しますので、請求書を返送させていただきます。」と吉賀町総務課から、事前に、私への、説明もなく、一方的に、吉賀町総務課への請求書を、その返送された対応は、納得いかないため その異議を申し立てることとなった。
平成28年7月16日(土)、吉総第403-1号 平成28年7月13日 島根県 吉賀町 総務課 より「公文書公開請求書について」の公文書を受け取り、公文書における その反訴における内容文
「通産大臣 佐藤信二 平成9年3月「日本経済の構造改革―産業構造審議会総合部会基本問題小委員会中間とりまとめ」
産業構造審議会総合部会基本問題小委員会委員長 辻村江太郎、
産業構造審議会総合部会基本問題小委員会委員 池尾和人、伊藤元重、今井敬、大賀典雄、大田弘子、奥島孝康、今井務、木村尚三郎、香西泰、河野光雄、小島明、小長啓一、宍戸善一、島田晴雄、竹内佐和子、武富將、辻義文、鳥居泰彦、中谷巌、中西真彦、福岡道生、本間正明、三輪芳朗、諸井虔、八代尚宏、弓倉礼一、吉岡初子、鷲尾悦也、
「産業連関分析ハンドブック」に 『数量経済史』 (2) 「長州表と戦前期表」についてが論述されています。慶應義塾大学 在学時代、沖縄県農産品について私は、西川俊作教授と話し合いを持っていた。
平成23年12月「長州の経済構造 西川俊作 著・編者 一橋大学 斎藤修名誉教授」が発刊となった。
平成26年10月「長州藩士桂家文書」に関する論文、立正大学情報メディアセンターから、入手できた。伊木寿一、石橋湛山による分析・研究方法も、私は、拝聴している。
平成27年10月、津和野町 日原にて、宮本常一氏と日原町史との関係について、私の慶應義塾大学における卒業論文 題名「萩藩宝暦の改革と熊谷五右衛門」について、宝暦時、津和野 堀家との関係もあり、慶應義塾大学 商学部 西川俊作教授の許へ提出した、私の父 森田良吉氏が、山口県文書館に勤務していた当時、私が、見聞した文化交流の経緯、島根県津和野町教育委員会 職員へ説明した。
「防長風土注進案」「萩藩閥閲録」は、石橋湛山、伊木寿一からの支援をもとに、山口県文書館 研究主事の努力より、関係各位へお尋ねをいれ、その歴史考証、書き下しの語訳 完成されたものである。
平成28年6月7日、島根県吉賀町職員より「吉賀記を読む ~歴史が語る~ 」に関し、説明を受けた後、島根県 吉賀町役場との対応について、山口県広報広聴課県民相談担当主査へ私は、説明に行った。
以下の内容について、その略歴における 経緯の説明文
「防長風土注進案」は、当時の文化、宗教、祭祀 史実も、記載されている。
日原町史は、和歌森太郎、宮本常一 等の尽力により 完成されたものである。
平成26年8月、山陰桜友会長 亀井亜紀子先生と私は、米沢 旧藩主家 上杉家に関する話題も、懇談した。
平成26年9月、立正大学 石井富美子 副学長と対談し、石橋湛山先生からの法灯明を拝聴する。
平成26年10月、山口県 岩国市、公益財団法人 吉川報效会 吉川史料館 館長に、「吉賀記」に関し、学術助言を得た。
平成26年10月、「長州藩士桂家文書」に関する論文、立正大学情報メディアセンターから、入手。伊木寿一氏から研究方法、私は、拝聴している。
平成27年3月 島根県 津和野町 森鴎外記念館 講演前に、私は、津和野町 亀井家墓所 墓参り、森鴎外 撰文碑 周辺の清掃にあがった。
平成27年4月24日、島根県 石見美術館 澄川 喜一館長と対談した。話題 大隈重信像について、朝倉文夫、河内山賢祐、東京スカイツリー、等。
平成27年8月12日、島根県 津和野町へ行き 津和野町長宛て、公文書開示請求書を提出した。
平成27年10月19日、島根県議会議員 中村芳信先生と私は、面談した。
平成27年10月27日、公益財団法人 亀井温故館 亀井茲基理事長と私は、対談した。
平成27年11月2日、津和野町教育委員会文化振興係に、経緯の説明をした。
平成27年11月16日、津和野町教育委員会 教育長 世良清美様と面談し、島根県議会議員 中村芳信先生 事務所には、報告を入れた。
平成27年11月24日、山口市議会長室、山口市議会議長 原真也先生と面談。
平成27年11月25日、山口県教職員相談室からの対応に関し、山口県議会議員 吉井利行先生 事務所へ報告。
平成28年1月6日、山口県 商工労働部 観光振興課 主幹と対談、平成30年の明治維新150年に向け、「やまぐち幕末ISHIN祭」を拝聴。
平成28年3月3日、「日原町史 自然」昭和63年9月15日 購入、山口市立阿東図書館 山本晋也館長と懇談。島根県 竹下登代議士による、ふるさと創生、地方創生の話しをすすめた。
平成28年4月25日、28日、島根県吉賀町職員より「吉賀記を読む ~歴史が語る~ 」に関し、私は、説明を受けた。
平成28年5月17日(火)、外務省 中東欧課 石倉様へ報告。G7. 伊勢志摩サミットに対応 件、外務省 経済安全保障課、外務省 中東欧課へ報告を入れた。山口県広報広聴課へ連絡と確認する。
平成28年5月19日、島根県 吉賀町教育委員会 教育長 青木一富様 宛て、その異議申立てに係わる対応が、はじまる。
平成28年5月30日、平成28年5月25日付、島根県 吉賀町総務課 吉総第185-1号 「審査請求補正書等の送付について」対応より、吉賀町総務課へ、その文中における異議を申し立てた。
平成28年6月9日、島根県 吉賀町役場へ公文書開示請求 提出に関し、吉賀町教育委員会 教育長 青木一富氏より、連絡が入る。山口県広報広聴課 県民相談担当 主査のもとへ、前 山口県山本繁太郎知事と私との対談内容に関する内容もあるために、その報告と相談に行った。
平成28年6月20日、島根県吉賀町役場に行き、吉賀町長 中谷勝様と面談し、日本赤十字社 島根県支部 島根県青少年赤十字奉仕団 発行 「いとすぎしまね 第22号 平成27年9月30日 」を手渡しすることが できた。
平成28年7月2日、吉賀町 総務課より、吉総403号 平成28年6月28日 公文書を受け取る。
平成28年7月5日、島根県 吉賀町役場 総務課との対応、山口県庁と山口県教育庁へ私は、報告へ行く。
平成28年7月14日、山口県庁へ私は、報告へ行き、その経過における報告についても、平成28年7月15日、山口県教育委員会 教職員 相談室へ報告している。
............................
以上の経緯をたどり、
島根県 吉賀町 総務課 より「公文書公開請求書について」の公文書には、平成28年6月20日、島根県吉賀町役場に行き、吉賀町長 中谷勝様と面談し、日本赤十字社島根県支部島根県青少年赤十字奉仕団 発行「いとすぎしまね 第22号 平成27年9月30日 」を手渡しすることも できたおり、私が、吉賀町長 中谷勝様と面談し、吉賀町教育委員会 教育長 青木一富氏から、審査請求人 私宛へ、平成28年5月30日、平成28年5月25日付、島根県 吉賀町総務課 吉総第185-1号「審査請求補正書等の送付について」が出され、一方的に、平成28年6月3日(金) までと その提出期限も定められたために、その期日まで、提出できないことを 吉賀町長 中谷勝様へ、相談もしている、しかるに、その後、現在に至るも、その提出期限における変更、また、提出にあたり、その配慮ある対応が、一向に、吉総第403-1号 平成28年7月13日 島根県 吉賀町 総務課 より「公文書公開請求書について」における、その公文書には、見うけられるもの ないため、島根県 吉賀町 総務課に対して、私は、納得がいかない旨を通知する。
平成28年7月16日
以上 島根県 吉賀町 総務課 宛て
吉総第403-1号 平成28年7月13日 島根県吉賀町総務課 「公文書公開請求書について」の受取人より